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( 香水工場の )

香る生活


コスモプロフ7(ランセ)
ミラノにあるランセ(RANCE)という香水メーカーをお聞きになったことはあるでしょうか?

日本ではほとんど知られていないパフューマリーですが、本家フランスそしてイタリアでも一般消費者にとってメジャーかどうかは意見が分かれるところです。

日本で言えば京都あたりの老舗和菓子屋さんのように小規模ながら綿々と伝統を守っている老舗といったことろでしょうか。

そんなパフューマリーをイメージしていただければ近いかと思います。私自身はじめて聞くパフューマリーさんでしたが、コスモプロフに行くならランセの担当者に会ってくるよう取引先に勧められ訪問させていただきました。

なんでも1600年代に革手袋製造業者としてグラースの地で創業し、後にパフューマリーに転向した会社さんということです。

「革手袋からパフューマリーへの転向」は香水の教科書に必ず出てくる香水の歴史そのものです。

グラースにはフラゴナールやモリナールなど現在でも「グラース」という地場を意識したパフューマリーさんはいくつかありますが、革手袋の時代から綿々と続き今日パフューマリーになっているという香水の歴史を地で行く会社さんは、少なくとも私自身が直接に接触させていただく会社としてははじめてです。

しかし、なぜミラノなのですか?

エクスポート担当のアンナさんに質問してみると、グラースで創業したランセ家は、ナポレオンの時代、グラースにて本業を守るとともにパリにて活動するようになります。

当時ナポレオン・ボナパルトに献上した香水(オー・ド・ヴァインクール)がナポレオンの目に留まり、そして愛用されることでランセは香水メーカーとして飛躍することになります。

1795年には革手袋製造から完全に徹底して、香水、フラワーエッセンス(エッセンシャル・オイルのことと思われる)、クリームなどの香りを中心としたパフューマリーまたは化粧品メーカーとして転身をはかることでパフューマリーとしてここからランセの歴史が始まります。

皇帝一族との関係は、ナポレオンをはじめ、その妻、ジョゼフィーヌ、そしてナポレオン3世とその妻、ウージェニーなどへと続きます。その後ランセ家は、1800年代の終わり頃、拠点をグラースからミラノに移します。これは一族の相続問題と関係があるそうです。

現在、ランセでは、ランセ家の処方とその他香水製造に関連する多くの財産と遺品をジャンヌ・サンドラ・ランセ(マダム・ランセ)さんが受け継ぎ、伝統的な処方と現在的な技術を融合させながら香水から石鹸、クリーム、バス用品など多彩なラインアップを製造しているとのことでした。

ランセの製品は、ほとんどマダム・ランセご自身が一族に残された処方をもとに調香されるとのことでした。

パフューマーがマダム・ランセお一人かどうかまではお聞きしませんでしたが、伝統の重みは我々日本のメーカーとは趣を異にします。残念ながらマダム・ランセはコスモプロフに来場されていませんでしたが、次回はじっくりお聞きして読者のみなさんにお伝えできればと思います。

※ランセ社の正式な名称は RANCE & C. srlです。Eの上にアクサンが付いていますが、フランス語の文字の出し方がわかないのでEにしています。




(2007-05-06)
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